2009年07月05日

沖縄タイムス フォトエッセー7月5日 載ってます。

沖縄タイムス◎【フォトエッセー】7月
                     豊里友行



 糸満市摩文仁の荒波が届かない海岸沿いの凸凹道を、私は幾度もナメクジみたいに足裏をはわせ進む。気の遠くなる作業に内心帰れるか心配になる。撮影の目的地では、私の滴り落ちる汗が野ざらしのままの遺骨たちに垂れないように気をつける。正直に言うと、私は遺骨をいくども踏んでいた。
 私のいる場所は、海岸の荒い凸凹でギザギザの石灰岩の道からたどり着いたアダンの林を切り開いて作った行き止まりの道だった。それは遺骨収集ベテランの国吉勇さんが造った道だ。落ち葉の広がる行き止まり道には足の踏み場なんてない。落ち葉を退かすたび、野ざらしの骨が顔を出す。照り付ける日差しがアダン林から鋭く刃のように伸び、時折雲間に遮られては光の糸をほどく。辺りには私の体から滴り落ちる汗と、ヤドカリの落葉を擦る足音だけだった。
 私はペットボトルの水を気にしながら口に含む。私自身が踏みつけたであろう遺骨たちに、きっと戦争のない平和な世の中をめざすからお許しください、と祈りながら私は手のひらのカメラで撮影を続ける。最後に髑髏の傍らにそっと最後のペットボトルの水を垂らし、ウートートーする。人気を察知して逃げるヤドカリたちを追い越して、私は足早にアダン林のその現場から逃れるように立ち去った。その後、国吉さんの案内で本土の団体によってその場所も遺骨収集された。
 「そこに山があるから」というじゃない。そこ(沖縄)に遺骨があるから、国吉勇さんは遺骨収集を続けている。今回は山を越えジャングルの道(その道を造ったのも国吉さんによる)をはうように進む。米軍の攻撃を逃れ逃れ、この岩肌の山が連なって出来た洞窟(ガマ)へ住民や兵士が入り乱れる。沖縄戦当時はその獣道は足の踏み場もないほど死体が転がっていたと、当時の兵士から国吉さんは聞く。西へ行く人や東へ行く人たちでごった返しになっていたと、当時の戦場の話を国吉さん自身も想像しながら私に語る。だからそのジャングルのようになった場所を、数日かけてかまを片手に道を造ったそうだ。
 なぜ国吉勇さんはわざわざ苦労して遺骨収集をするのか、帰りにもう一度聞いてみた。彼は遺骨収集をしている時、(沖縄戦の)遺骨が呼んでいるように思えると言う。限りなく膨大な時間を費やして来た国吉さんは、これからも黙々と遺骨収集を行うだろう。その情熱の訳が少しだけ私にもわかる気がした。
 戦後六十四年を経た今でも、野ざらしのままの遺骨などがたくさんある。国吉勇さんが見つける遺骨も樹木の生い茂った森や林、洞窟などの闇にひっそりと息を潜めている。戦死者たちの沖縄戦はまだまだ終わりそうにない。激戦地・摩文仁の慰霊の日には多くの人たちの祈りが集う。私も沖縄世(ウチナーユ)になるまで非戦であり非武の島になることを生涯思い、祈るようにこの沖縄の地を撮影し続けたい。
 
 
 
とよざと・ともゆき 1976年沖縄市出身。写真家、俳人。
  

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2009年07月04日

今週の一枚「東京電車」:豊里友行

「今週の一枚」というのはジャーナリスト・ネットで私が連載している『沖縄通信』に載せているものです。
興味がある方はぜひごらんください。








北千住(1998年)

「 東 京 電 車 」         (沖縄タイムス2005.3.23 唐獅子 )

 僕が東京で最初に目にしたカルチャーショックは、電車という鉄の塊だった。

 《 ジュズノヨウニムカデニナルツウキンラッシュ 》

 僕は大都市を分きざみに移動する無数の鉄の物体に驚き、魅了された。
僕の住み込みの新聞販売所から写真学校までは、一駅しかないが定期券を購入した。
そしてJR山手線の座席に座り、何周もぐるぐる回った。
時間帯で刻々とうつろうさまざまな人間模様。
車窓は映画のスクリーンのように大都市の表層を映し出す。
上京するまでに僕は、通信大学のスクリング講座で単位修得するために東京を数回訪れた。
その時の旅人の目で見た僕の東京詠。

 《腹話術のダック臍(へそ)に飼う群衆の砂》

 《異郷の風巻いてどれも象の耳》

 《じゃんと語尾笑う母を忘れてら》

 《月はたかくさみしい獏(ばく)の匂い》

 《缶詰電車ストローから吐く白い影》

 僕は上京してからどっぷりと都会の生活につかり、青春をおう歌した。
肌身離さずカメラを持ち歩き、時間をみつけては東京散策をした。
電車の風景にも親しみを覚えた。
しかし、僕の東京生活は僕自身さえ蝕(むしば)んでいった。
いつの間にか疲れたという言葉が口癖になっていた。

 《欲望飼いならすじんじんと熱い釘》

 その心の疲労感を癒してくれたのが東京の下町だった。
伝統文化を現代にうまく生かした人間模様。
何故か懐かしさを覚え、下町にひかれていった。
都会と下町の両極を撮り続ける事になる学生時代の僕は、気になったものをがむしゃらに撮り続けた。
都会の断片をカメラで切り取る。
写真学校の講師陣は、プロのカメラマンや写真関係の職種の人ばかりで、皆それぞれに個性派ぞろいだ。
その講師陣からいろいろな写真の方法論を学んだ。
時にその個性に振りまわされ、自分を見失う事もあった。
それでも僕は、東京を写真という映像で詠い始める事になった。

 《影のない藻(も)になる煩悩の電車》















http://j-net.obei.jp/toyozato/2009/07/post-6.html  

2009年07月03日

勇崎哲史さんの写真展



勇崎哲史さんの写真展とイベントのお誘いがあった。

行きたい・・・。

が、イラストレーター&フォトショップ講座があるのでイベントに行けない・・・。

写真展にも行けるかな?!

時間を作らないと・・・・。

ぜひみなさま展覧会みてください。








<展覧「1989」によせて>1977年、写真家することに挫折し、カメラを置く。企画立案の仕事に転向して7年、北海道東川町に「写真の町構想」を提案。その5年後の1989年1月、写真の町の仕掛人として、名護市でのフォト・シンポジウムに招かれる。16年ぶりに沖縄の土を踏み、1971-73年、カメラを持って、この地を彷徨い、やり残したままの写真たちのことを想う。1989年6月、写真150年の式典直後に訪れた北京で天安門事件に遭遇する。記録しなければ、という使命のような感情に襲われ、僕のなかに写真家としての血液が有無もなく流れていることを自覚する。1989年7月、第5回東川町国際写真フェスティバルに、僕が「写真の神様」と尊敬して止まない写真家 ロバート・フランクが来てくれた。メイン会期を終え、ロバートといっしょに、夢のような3日間の旅をした。この旅は、もう一度写真家する決心を、僕に促すことになる。1990年1月、僕は大神島の家族たちの前に立っていた。やり残したことをやり直す、写真への新しい旅がはじまった。1989年の記憶。光陰矢の如し。すでに20年の歳月が流れてしまった。------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------この展覧はいずれも1989年に撮影したロバート・フランクの肖像シリーズと天安門事件に遭遇して記録したインスタレーション作品を中心に構成しています。 タイトルとしました「1989」年は、写真発明から150年の記念すべき年でしたが、僕が遭遇した6月の「天安門事件」以降、11月には、東西を仕切っていたベルリンの壁が崩壊(翌年にドイツ統一)、12月には、アメリカのブッシュ大統領、ソ連のゴルバチョフ首相の両首脳がマルタで会談し、「冷戦」の終結が宣言されたという、歴史的な大転換の年でもありました。 僕自身にも大きな転換期でしたが、この展覧をこの20年の自省の機会としたく思い、開催いたします。ご来場、ご観覧いただけますよう、よろしくお願いします。 勇崎哲史
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------■展覧会期7月16日(木)~29日(水)10:00AM-7:00PM(日曜休館)<入場無料>■オープニングパーティ7月16日(木)6:30PM-9:00PM会費:1500円■フォーラム7月17日(金)7:00PM-9:00PM「写真の記憶:ドキュメンタリーからモニュメンタリーへ」ゲスト:仲本賢(写真家)7月24日(金)7:00PM-9:00PM「写真の神様:ロバート・フランク物語」ゲスト:川満信一(詩人)フォーラム参加料:各800円(学生500円:高校生以下無料) ■会場〒900-0034那覇市東町19-22沖縄メディア・アート・センター1Fオーマック・ギャラリー   

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2009年07月02日

『金城実の世界』(仮題)豊里友行写真録 完成マジカ・・・

彫刻家 金城実さんの作品集を作ろうと今躍起になっている。

お金大丈夫かな?

モノクロの作品集なのでカラー写真をモノクロに変換した時大丈夫か?

彫刻家 金城実さんと細かい打ち合わせも近いうち必要だ。

いろいろ不安がある。

迷いもある。

しかし樋口健二先生から何とか記録写真としての写真集化のGOサインをいただく。

もちろんマンネリ化していた撮影と一回限りの撮影という緊張感のなかった写真は、ただの記録写真に成り下がっていた。

自分の撮影できる時間が限られていることに今回大いに反省させられた。

一回で撮りきる緊張感を養わなければならない。

常日頃から精進あるのみだ。

さてもうひと踏ん張りしなくては!

『金城実の世界』(仮題)豊里友行写真録 完成真近、マジカ(本気か?本当に出版できる?)・・・










『金城実の世界』豊里友行写真録の過程

= http://toyoanneru123.ti-da.net/e2686094.html

= http://toyoanneru123.ti-da.net/e2582783.html  

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2009年07月01日

俳誌 「 海  程  」2009年7月号454号が届く。

俳誌 「 海  程  」2009年7月号454号が届く。
なかなか自分らしい俳句は評価してもらえない。
そのまま続けていていいものだろうか・・・。
たとえ認められなくとも私は自分らしい表現を求め続ける。







○ 逝く春の空はひとつの糸電話         豊里友行

 蝶の死をかるがる担ぐ蟻の列

 この国はどこへ角だす蝸牛








金 子 兜 太= http://kanekotohta.jp/
  

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2009年07月01日

めんそ~れ!俳誌紹介 「鬣」俳句会

めんそ~れ!俳誌紹介  「鬣」俳句会



代表=林桂

準備中








鬣= http://www.paw.hi-ho.ne.jp/tategaminokai/






  

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2009年07月01日

現代俳句協会のインターネット俳句会 高得点句がでる!

現代俳句協会のインターネット俳句会
誰でも無料で参加できます。
ですがなかなか高得点句になるのは至難の業です。
久しぶりに高得点句になったので紹介します。
多くの皆様と楽しい俳句との出会いを期待しています。





一般の部G2
高得点句発表

点数 4 点
選句番号 760 番
投句

沖縄の虹をひっぱる大綱引き   豊里友行


だが、もうひと推敲する!


沖縄の虹の根ひっぱる大綱引き

















現代俳句協会
http://www.gendaihaiku.gr.jp/index.shtml

豊里の前回の高得点句
http://toyoanneru123.ti-da.net/e2125329.html  

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2009年06月30日

今日が締め切りの「21人新鋭アンソロジー句集」(仮題)

今日が締め切りの「21人新鋭アンソロジー句集」(仮題)に100句と文章をメールする。

10月(o・ω・)っ頃、邑書林より発刊予定。

若手俳人のアンソロジーなのだ。

ぜひご一読いただけると幸いです。



今度の予定は~。
6月30日 作品など提出締切
7月20日前後 初校ゲラ発送(著者校正に10日)
7月30日前後 初校ゲラ返送締切
8月20日前後 再校ゲラ発送(著者校正に10日)
8月30日前後 再校ゲラ返送締切
8月31日 作家小論原稿提出締切
9月中旬 編者+αによる総括座談会
11月15日 刊行予定






山口優夢  http://blog.goo.ne.jp/y-yuumu

外山 一機

越智 友亮

谷 雄介

中村安伸

鴇田 智哉

豊里 友行 http://toyoanneru123.ti-da.net/

五十嵐義知 

髙柳 克弘

神野紗希 http://spysee.jp/%E7%A5%9E%E9%87%8E%E7%B4%97%E5%B8%8C

北大路翼

村上 鞆彦

関悦史

藤田 哲史

富田拓也

中本 真人

矢野 玲奈

相子智恵

佐藤文香

九堂 夜想

田中亜美 http://www.gendaihaiku.gr.jp/announce/prize/shinjin/18.htm










邑書林(土橋寿子 島田牙城)
web shop
http://8015.teacup.com/younohon/shop
  

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2009年06月27日

「写真が社会を良くして行く」 (井津建郎)

平敷兼七さんが一押しの写真家・井津建郎氏。

1993年よりアンコール遺跡の村に小児病院を建てるNPO活動「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー」を始め、1999年に病院を創設し、病院運営などにも及ぶ写真家の創作には、考えさせられる。

「写真が社会を良くしていく」

そんな写真家になりたい。









井津建郎
1949年大阪生まれ。1970年渡米。74年ニューヨークにKenro Izu Studioを設立。ティファニーやハリー・ウインストンなど主に宝石写真を手がける。作品は、プラチナ・プリントによる石造遺跡だけでなくヌードや花のスティル・ライフ作品も多く、メトロポリタン美術館をはじめ海外の多くの美術館に作品が収蔵されている。02年、プラチナ・プリントにサイアノタイプを重ねたシリーズ「BLUE」を発表。1993年よりアンコール遺跡の村に小児病院を建てるNPO活動「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー」を始め、1999年に病院を創設。 07年10月、病院運営の功績と長年におよぶ創作活動に対し、写真界の“アカデミー賞”と言われ世界的業績を顕彰するルーシー・アワード(米)のビジョナリー賞を受賞した。ニューヨーク在住。


▼井津建郎公式サイト http://www.kenroizu.com





関連記事
= http://www.pem.org/izu/index_intro.html













  

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2009年06月27日

音楽大好きっ子倶楽部(追悼 マイケル・ジャクソン)

マイケル・ジャクソンの急死のニュースに唖然とする。
いろいろ問題もあったが、やはりビッグ・スターだったなぁ・・・・。
まだ50歳の若さだったとは。
追悼の意味も込めてぜひ下記からマイケル・ジャクソンを偲んでほしい。



「black or white」= http://www.youtube.com/watch?v=6QCzK0EVISo

いろいろな人に愛されていたスターです!

吉幾三 × マイケルジャクソン
= http://www.youtube.com/watch?v=fQ7vUNlPF4s&feature=PlayList&p=239434BB27488013&playnext=1&playnext_from=PL&index=39








http://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3&search_type=&aq=f  

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2009年06月24日

自分の顔?!



ジャーナリスト・ネットに似顔絵掲載・・・。

自分の顔ってこんななのと嘆いてます。

がんばって中身を磨きますのでどうかよろしくです。






ジャーナリスト・ネット= http://www.journalist-net.com/

豊里友行の「沖縄通信」= http://j-net.obei.jp/toyozato/  

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2009年06月24日

「ジャーナリスト」第615号に写真掲載

「ジャーナリスト」第615号に写真掲載。

謝花直美さんの「現場を歩き続ける亀井さんの姿
           沖縄の記者らへの温かい激励








ジャーナリスト 亀井淳 氏の訃報
http://toyoanneru123.ti-da.net/e2648948.html  

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2009年06月23日

沖縄 慰霊の日

「常日頃からレクイエムを」
今日六月二十三日は沖縄 慰霊の日。
黎明の塔に上りながら青い海と水平線を眺める。
平和の礎に貼り付けられた黄色い花が印象的で撮影する。
朝鮮人の礎には数名しか刻字されていない。
その空白がなにか名もない人たちの歴史の忘却を物語っているように思える。

それからひめゆり学徒の慰霊祭を撮影する。
開館20周年となった「ひめゆり平和祈念資料館」では、ひめゆり学徒を送り出した女学校などの同窓生と、那覇市の沖縄尚学高と同高付属中の生徒たちがそれぞれ「レクイエム(鎮魂歌)」をささげられた。

元ひめゆり学徒の上原当美子さんは感慨深く涙ながらに歌う姿に私jは魅せられた。
当時若者たちと同じくらいの歳頃だった彼女は、戦争のかなしみを涙のレクイエムに込めた思いは果てしなく深いものだろう。

その日は暑くて豆に水を含みながら撮影に当たる。
写真仲間からもう若くないんだから体に気をつけて撮影しなさいという言葉が足かせになる。
あまり無理することもなくひめゆりの塔の慰霊祭の香典の最後らへんで私もウートートーする。
きっと沖縄から世界を平和にしていきましょうと祈りをささげる。
私は非戦の祈りを写真で実行していくことを誓った。
遺骨も不発弾も魚の骨のように多く残る島だからこそ、基地の島の加害を食い止めながら、戦後64年目のレクイエムを常日頃からつむいで行こうと思う。


「沖縄世までの憂鬱」
今の基地の島・沖縄の現状では、沖国や宮森小のジェット機堕落事故などのような沖縄県民を脅かす事件・事故も常時起こり得る。
沖縄は常に被害者の面だけでなく、戦争を支援する軍事基地の面を持つ。
阿修羅のように悲しみも怒りも、そして戦争の根源をも内包するこの島に私たちは生き続ける。
その自覚と覚悟なくして非戦の祈りが成り立たない矛盾。
現代の知識は多様化し細分化し分裂し続ける・・・。
そういう中で一貫して沖縄を見続ける責務を背負いながらも、生活に追いやられその責任の重さに打ちのめされもする。
沖縄を撮る。
いろいろな写真家に愛されたこの島の愛憎を想う時、常日頃から自分自身のために沖縄にこだわる同士に励まされながらも、たとえ報われなくとも営む決意を何度したことか。
もう歳なのだろうか、私の沖縄へのこだわりを誰かに認めてもらえない諦めムードが蔓延している。
沖縄へのこだわりと情熱を伝える、それだけを一身に考えているのに時々迷いやためらいがちらつく。
沖縄よ何処へ行くという問いは、本当は私自身の沖縄への愛憎から生じる迷いやためらいのようにも思えて来る。
沖縄は平和を発信するためにも基地を破棄しなくてはならない。
本当に素直にそう何度もこの壁にぶち当たる。
沖縄世(ウチナーユ)まで行くためには非戦であり、非武の島になることを、私は生涯想い続けることだろう。






六月の祈りほどくと蝶になる     友行
       ガマ 
逃れのがれ洞窟に根を張る百合の悲鳴    友行

  

2009年06月20日

宮森小ジェット機堕落事故から50年(6・30)

あの日を語る
宮森小ジェット機堕落事故から50年
~ 平和な日常が一瞬にして大惨事に・・・ ~

話し手は当時宮森小学6年生担任の比嘉静氏と当時同小学2年生の名嘉百合子氏により沖縄市立図書館で6月23日慰霊の日関連行事として講演会が開催された。

名嘉百合子氏は地獄絵のような光景を当時小学2年生の時に体験していると語る。
ある日平和なはずの日常が一瞬で地獄絵と化したのだ。
名嘉氏は子供心に多くの死者を出したこの事件がトラウマになっていたのではと回想する。
彼女は軍病院に収容された時、夜になると両親たちも家に帰され、言葉の通じない軍病院で不安な夜を過ごした。
異国のようなところで独り過ごしたことが名嘉氏にとって印象深かったようだ。
しばらくして事故から2週間ほどで授業は再開された。
宮森小学の生徒たちは誰も暗黙の了解のように事故のことを語ろうとしない。
名嘉氏は、ついこの間までいた友達の死を子供心に受け入れられないでいたと語る。
給食当番のため友達が何かいいたげに声をかけたのを名嘉氏は振りほどいてしまった。
その時亡くなった友達が何を言おうとしていたのか心残りだと語る。

50年経った今でも語る言葉だけが真実として残ってしまうのを恐れ沈黙し続ける人たちもいる。
しかし名嘉氏は、亡くなった子供たちのことさえ忘れ去られることを危惧する。
名嘉氏はこういう機会を持っていただいたことをありがとうございますと話を結んだ。



当時6年生の担任だった比嘉静氏が事件にあったのはちょうどミルクの時間でした。
ミルク当番でもめごとが多いので先生が生徒に配る担当をすることになっていた。
四番目の席の男の子が手を挙げお代わりをもらう合図をしている。
その時に事故は起こった。
事故直後にとっさに先生は「伏せー」と叫んだことを覚えていないと言う。
毎年最初の授業で子供たちに机の下に伏せる訓練をしていたと言う。
比嘉氏はこの6年生の子供たちにもその訓練をしていた。
教室は天井だけでなく外の廊下まですっ飛んでいる。
教室の四分の一くらいの天井が吹っ飛んでないんです。
天井から青空が見えている。
そして机は全部、爆風で向こうに寄せられてました。
子どもたちは机と一緒に吹き付けられて、机の下に潜っているんですよ。
はっと気が付いた時には「せんせーい!」と私が起き上がれないくらい、みんなおっかぶさってきた。
大きな声で「待てー!!」と叫んだ。
「先生が様子を見てくるから待っとくんだよ」と言って聞かせ、自分は様子を見に教室から出ていくと、階段の下のほうがどうも不安定のようです。
それで教室に戻ってここは危ないから逃げなさいとみんなを追っ払うようにして逃がしました。
その中に逃げないのがいるんですね。
「どうしたの!早く逃げなさい!」と怒鳴って見たら、もうだめなんです。
だれだかわからないくらい、体が崩れていました。
これは自分一人で助けられるものじゃないと思い助けを呼びに行く。
私の教室のある校舎のもう一つの棟を周ると2年生の教室がある校舎ですが、そこがもうぼんぼん燃えています。
そこから助けを求めに周ってきたら、火の中から女の子が一人、ぼーぼー燃えながら出てきたんです。
洋服も髪も燃えて、炎になって出てきたんです。
はっと思って火を消すために、その子の背中をはたいたら、背中の皮がずるずると私の手にくっつきました。
あっと思って、私はその子を抱いて「誰かいませんかー!」と叫びながら人を探したけれど、校内はもうみんな逃げていない。
なおも助けを求めて職員室の前まで来たら、教頭先生がいる。
その日校長先生は、研修で留守だったんです。
 大火傷した子を抱きかかえ、さらに助けを求めてさまよいながら職員室の傍まで行ったら、後ろから走ってきた年配の伊波タケ先生に傷ついた子を託しました。

 自分のクラスの子を助けてくれる人は誰かいないかと思っていたら、父兄がぼつぼつ学校に向かって走ってきたんです。
初めに走ってきた人の胸に真正面から抱きついて、「お願いします!私のクラスにまだ子どもがいるんです!」と自分の教室を指差してすがったら、その人にぱっーと跳ね除けられてしまいました。
その人は火が燃え盛るほうに、子供の名前を呼ばわりながら走っていきました。
助けを求める人に2度振りほどかれた。

自分のクラスの子は自分でしか助けられないと思った。
(怪我のため)形が崩れて本人への返答確認や衣服などでしか(生徒の確認が)わからなかった。
ガソリンも火も降ってくる教室の中を捜し回っていた。

それから私は患者として軍病院に入った。
しかしそこの医者から学校の先生かと聞かれ、生徒たちに顔を見せてと頼まれる。
それで騒いでいる子供たちをなだめる。
子供たちは自分の(看護のため)洋服をばっさり切られたと話してくれた。
退院したら先生の姿が見えないことから周囲の人からは亡くなったものと思われていた。

学校の修理をしに来た軍の作業員は教室にやってきた時は監督をしていたという。
その作業員は初は血痕だけをはがし始めた。
その血痕の部分だけを補修するつもりなのだ。
血痕を含めて全て、私の教室の一教室全部をは塗り替えてもらい、血痕と区別のつかないようにしてもらう。
事故のことをなるべく子供たちに思い出させないための配慮だ。
(宮森小ジェット機堕落)事故後、生徒たちは先生より先に教室に入らず先生より先に帰るようになる。
無言のトラウマは生徒たちにもあるのだ。
比嘉先生自身も電話のベルを聞くと事故当時の生徒の叫び声を思い出すという。
そのトラウマに気づいた比嘉先生は、子供たちより先に教室に入り、最後の子供たちが帰るまで教室に残るようにしたという。

(うるま市の)お隣(沖縄市など)に基地がある限り、このような惨劇は起こり得る。
それを、基地を無くすことはできないわけではありません。
平和を願って止みません。

と比嘉静氏は生々しい宮森小ジェット機堕落事故の惨劇を伝えてくれた。
その後比嘉氏の沖縄戦の体験を子供たちにもわかるようにお教え頂く。
戦争のないこれからの世の中をつくらないといけないし、つくれると思いますと話しを結んだ。

静先生の夢を確かに受け継いでいこうとその場の観客の私も決意を新たにした。











演劇集団「ハーフセンチュリー宮森」
= http://toyoanneru123.ti-da.net/e2591871.html  

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2009年06月17日

遺骨が呼んでいるような

昨日遺骨収集のベテランの国吉勇さんに同行取材をさせていただく。



「そこに山があるから」というじゃない。
そこ(沖縄)に遺骨があるから彼は遺骨収集を続けている。
そうおっしゅられる国吉勇さんは今年70歳になる。
遺骨収集を始めたのは18歳の頃だという。
週に3・4回遺骨収集に出かける彼は、腰に磁気ベルトをつけるぐらいの腰痛持ちだ。
それでも遺骨収集を続けている情熱は私たちの考え及ばぬものに思える。

今回も午前中、糸満市摩文仁の南冥の塔で遺骨収集をしてから岩肌の山を越えジャングルの道(その道を造ったのも国吉さんによる)を這うように進む。
米軍の攻撃を逃れの逃れこの岩肌の山が連なって出来た洞窟(ガマ)を撮影させていただく。
沖縄戦当時はその獣道は足の踏み場もないほど死体が転がっていたと当時の兵士から国吉さんは聞く。
西へ行く人や東へ行く人たちでごった返しになっていたと当時の戦場の現場を当時の兵士の話から国吉さんも想像しながら私に語る。
だからそのジャングルのようになった場所を数日かけて鎌を片手に道を造ったそうだ。

なぜ国吉勇さんはわざわざ苦労して遺骨収集をするのか帰りにもう一度聞いてみた。
遺骨収集をしている時、(沖縄戦の戦死者たちの)遺骨が呼んでいるように感じるそうだ。
限りなく膨大な時間を費やして来た国吉さんはこれからも黙々と遺骨収集をしていく。
その情熱の訳が少しだけ私にもわかりかけたような気がした。








国吉勇の戦争資料館=
http://kuniyosi1234.ti-da.net/


「まだ終わらない戦死者たちの沖縄戦」
= http://toyoanneru123.ti-da.net/e2370971.html  

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2009年06月14日

エディタ・コミュニティ

だいぶ前から私はエディタ・コミュニティを愛用している。
ブログの交流サイトです。
もしよろしければご活用ください。




豊里のエディタ・コミュニティ トップ画面
http://community.edita.jp/member_show/m-46fb68c0d0359  

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2009年06月14日

市役所の星

一時期、映画『県庁の星』が流行っていた。
私の知人にも沖縄市役所の職員は多い。
その中で(市役所の)面接で市役所を変革していきたいと述べた友人がいた。
これまで沖縄市役所は血縁などのコネで市役所の職員に簡単になれた。
それが公務員試験の登用でなかなかの関門となっている。
沖縄では就職事情は、公務員志望が高い(高給取りですから・・・)。
その高い難関を越えてきた友人は、はたして市役所の改革になっているのか?
一生懸命仕事をしているということでは確かに改革になっているのだと思う。
だがその友人は身の安泰から自分の世界に閉じこもりがちになってしまった。
自分の持ち回りの仕事を一生懸命していれば一生安泰なのだ。
だが、もっと地域住民と公務員との交流の中から沖縄市役所の改善をなされなければいけない。
一職員の努力だけでは公務員村を改革できない。
だから地域住民の不満の蔓延している沖縄市役所は一向に良くならない。

では沖縄市役所の星ともいえる沖縄市長は、市役所の改革をしないでいいのか?
いろいろな住民の不満の中で特に取り上げておきたい事項を下記に記す。

沖縄市の中心市街地の活性化事業

沖縄市泡瀬干潟近辺海域の埋立の凍結

沖縄市役所の民営化事業の拡大(公務員の事業の委託民営化)



さて沖縄市長および公務員はどれだけ沖縄市役所の星になれるだろうか。










映画も時代を映す!?
= http://toyoanneru123.ti-da.net/e2186389.html  

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2009年06月14日

オリオンビール

オリオンビールは全国展開しているもののまだ通販の買い物の動きは鈍いようだ。

全国のいろいろなところでオリオンビールの販路を拡大とはまだいかないようで東北の知人からあまりオリオンビールを見かけないと言う。

通販でもオリオンビールを楽しんでちょんまげ~。





http://www.awamoriya.net/syouhin/orion/orionmein.htm  

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2009年06月12日

相模補給廠「監視団ニュース」No.387に私の感想文が載る

「相模補給廠監視団」の監視団ニュースNo.387に5月6日基地めぐりの「見逃せないこと・・・」という感想文が載る。

やはり現地の案内人を買ってでていただいた沢田さんにあらためて深く感謝します。

原文は下記です。


私は本土の米軍基地を始めて見た。それまで沖縄の米軍基地だけに日本の米軍基地が密集しているものだと思っていた。今回相模総合補給廠監視団団長の沢田政司さんの案内で在日米陸軍相模総合補給廠(しょう)、米陸軍キャンプ座間、厚木海軍飛行場を視察する。もちろん沖縄には米軍基地の大部分が過密に集約されているが、本土の米軍基地もまたアメリカに占領された土地のようにあり続けていることを知る。

相模総合補給廠(しょう)に密接したところに民間のマンションが立ち並ぶ。そのマンションに住む人たちの好意で相模総合補給廠を高い位置から見せて頂く。コンテナが無造作に並べられている異様さ。その中にはトイレットペーパーなどの生活物資の他に医療機器などがある。このコンテナ事態が手術室になる機能的で合理的なものだ。こんなにあけっぴろげでいいのかと思えた。沖縄の場合嘉手納弾薬庫や辺野古弾薬庫など危険なものが多いせいもあるのだろうが、基地を見渡すこのような場所はそう多くはない。それくらいマンションなどの住居と隣接されている異様さは本土の米軍基地だからかもしれない。だが軍隊のための日常の生活物資だって人を殺す戦争のために活用する以上、反戦の運動の輪で基地縮小させなければならない。そういう風に合理的な米軍基地の機能を見逃さずに反対していかなければ、いつまでも奪われた土地は返ってこないだけでなくこれからのアメリカの軍隊に加担していくことになることを自覚しなければならない。基地として奪われた土地が基地返還後しっかりと経済効果をもたらすことは、沖縄のおもろまちの新都心や北谷町のアメリカ村などで実証住みだ(もちろん基地返還がもたついてだいぶ時間をようするが・・・)。本土でも米軍基地の返還運動がもっと協力に推し進められてもいいのではないだろうかと思えた。相模補給廠付近のフェンスの壁沿いに1メートルぐらいの庭を耕す女性を見る。規模は小さいものの沖縄の金の成る土地・黙認耕作地に似ているように思えた。だが沖縄のようなお金のなる土地ではないようだ。

キャンプ座間は基地内のゴルフ場を視察する。映画館や遊技場などのレジャー施設のある辺野古の基地内などを思い出す。そのゴルフ場からゴルフボールが基地の外へ飛び出すという。戦争をする側の軍隊が軍人たちを快適なリフレッシュ空間を置くという合理的な考えは平和憲法の国・日本でも見逃されてはいけない。そのリフレッシュ空間が日本国民にとって危険を及ぼすなど言語道断だ。
 
厚木基地を見に嘉手納にある安保の丘とよく似た公園に行く。そこから飛行場を見ていると何度も飛行機の離着陸を見れ、普天間飛行場や嘉手納基地を連想した。民間地からそう離れていないところでのヘリの飛来の危険性は沖縄と一緒だと思えた。爆音に悩まされる人々のことを思う。

神奈川県の米軍基地巡りを終えて、沖縄の米軍基地の反対運動と連帯していく必要性を感じた。また軍人たちが街に繰り出さない家族持ちの軍人たちらしく、基地の街の風貌はないという。沖縄の場合基地の街といえば米兵たちが街でお金を使うので基地の街の人たちから基地容認の声が上がる。軍用地主や軍雇用員たちの多くは基地を容認している。そういった沖縄の場合、基地賛成反対で地域住民が分断される歴史が起こっている。本土の場合も交付金などの見返りを求めて基地賛成をしている人々もいるだろうが、日本に駐留している米軍基地がこれまでのアメリカの戦争を支援してきたことを想像してもらいたい。もちろん間接的ではあるが平和憲法をも脅かしていることは間違いない。

短時間ではあっ分かりやすくナビゲートしていただいた相模補給廠監視団団長の沢田さんに感謝。
これから私は沖縄を撮り続ける上でも日本の米軍基地について関心を持たないといけないと思い知った。
また沖縄だけでなく日本の米軍基地のある街の人々の連帯した基地返還抗議行動を繰り広げていかないといけないと思えた。
                 
                     豊里友行(フォトジャーナーリスト)









神奈川県の基地巡りを終えて
= http://toyoanneru123.ti-da.net/e2641910.html  

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2009年06月12日

沖縄県立コザ高等学校 同窓生ブログ

沖縄県立コザ高等学校 同窓生ブログ
   http://koza.dokikai.com/blog.html 

というコーナーがあってこの「とよチャンネル」も紹介されている。

もちろん私もコザ高校卒業生です。

みんな頑張ってるなぁ。

私も無理せず頑張るぞ(笑)。

コザ高生のよい見本になれるかな?!


  

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2009年06月11日

写真を楽しみたい とよチャンの独り言

最近私は理屈ぽい!

写真を純粋に楽しんでいない。

そう『彫刻家 金城実の世界』(仮題)が出来るか瀬戸際にいる。

彫刻家の金城実さんと最初に出会ったのは、2000年の週刊金曜日のシリーズ企画「黙っていては始まらない」の写真担当をしていた私が金城実さんの100mレリーフを撮りおろすことにになった時だ。

それから金城実さんの作品とその制作現場の記録のため金城さんのアトリエ通いが始まって現在6月で9年目に入っている。

金城実さんの大作群を撮り切れない私の力不足はあるが、私しか記録していない金城さんの記録をそのまま眠らせて置くわけにもいかない。

客観的に樋口健二先生に判断してもらってから出版に漕ぎ着けられるのだが(これが最後の難関なのだ)。

もちろん彫刻家金城実さんの作品を多くの人たちに知らせるために私は心血を注いでいる。

編集という産みの苦しみ。
タイトルの候補も出来た。

 ウチナーユ
『沖縄世まで ~彫刻家 金城実の世界~』豊里友行写真録

『民衆彫刻家 金城実の世界』豊里友行写真録


編集作業をしていると写真を撮りに行けない。

写真を撮りたい。

写真が大好きだーーーーーーーー!

しかし編集作業をしていると思うのはその時その時の現場の撮影を一生懸命することに限る。

無駄な撮り直しがあると時間も費用もかかる。

もちろん時間が経つと撮り直し出来ないものが出てくる。

今回の豊里友行写真録を新たなスタートラインにしたい。




そうえいえば沖縄タイムスの眼差しの行方の原稿料をそっくり使ってなかった(まさか琉球銀行に振り込まれているとはうれP)!

は~深夜に及ぶモノクロの暗室作業で睡眠不足(私の暗室は完全暗室でははないので夜の闇が必要になる・・・)。

そろそろ東松照明先生の言うデジタルの明室にでも切り替えないといけない。

あまりにも徹夜で一日寝不足がきつい。

とにもかくにも『金城実の世界』の企画を早く打ち出さなくては~!

やはりゆとりがなくては写真の快楽の邪魔になる。

本当に好きな仕事を仕事にすると自己規制が大事だと実感する。

休み休みきちんと仕事のノルマもこなして生きたい。






金城実の世界= http://kinnjyu.ti-da.net/  

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2009年06月10日

シンポジウムの新聞記事(沖縄タイムス)

沖縄タイムス 2009年6月8日 25面

「復帰後」生まれ 写真家思いを語る
    宜野湾でシンポ

 「復帰後」生まれの若手写真家によるシンポジウムが6月7日、宜野湾市の佐喜眞美術館であった。
沖縄から中東、東南アジアなど各国を取材している親泊健さん、基地問題と伝統行事を撮影する豊里友行さん、仲宗根香織さん、タイラジュンさんの4人が作品を紹介しながら思いを語った。
 親泊さんは1995年の米兵による暴行事件を機に「米軍基地の存在を自覚し自分に問い掛け」、本格的に活動を始めた。
モンゴルのマンホールで生活する子どもたちや弾圧を受けるクルド人、イラク戦争の写真をスライドに映し、「撮影していて自分自身が教わることが多い。自分が生かされている感じ」と話した。
 豊里さんは、さまざまな姿を見せる基地、座り込みを続けるお年寄りの表情などを紹介。
「出会いが財産」とした上で、「一人一人が声を上げないと何も始まらない、という気持ちで撮っている」と述べた。

  

Posted by とよチャンネル at 18:21Comments(2)TrackBack(0)写真ケセラセラ

2009年06月09日

シンポジウムの新聞記事(琉球新報)

琉球新報2009年6月8日

戦場、沖縄テーマに
若手写真家が意見交換   宜野湾

 「若い写真家は何を考えているのかin沖縄」と題する討論会が6月7日、宜野湾市の佐喜眞美術館で開かれ、30代の写真家4人が日ごろの活動を紹介しながら、意見を交わした。
 美術評論家で県立芸術大学講師の土屋誠一氏が進行役を勤めた。
ベトナム戦争時に米軍が落としたラオスのクラスター爆弾被害などを取材し撮影してきた親泊健さん(36)=那覇市=は「僕が(戦場で写真を)撮って、何の意味があるのか考える。正直言うと行きたくないが、沖縄戦を経験したおやじがいて、沖縄戦の写真を見て戦争のことが頭にこびりついており、それが僕を動かしている」と話した。
沖縄出身であることが、作品とどう結びついているかについて、基地などを撮り続けている豊里友行さん(32)=沖縄市=は「沖縄が日本でなかった時代を教科書でしか知らない。沖縄を知ることが自分を知ることになるし、アイデンティティーを探る作業になっている」と話した。
 

  

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2009年06月07日

若い写真家は何を考えているのかin沖縄

比嘉豊光写真展関連イベント シンポジウム


若い写真家は何を考えているのかin沖縄 6月7日(日)午後2時開始

佐喜眞美術館
= http://sakima.jp/






シンポジウムではトップバッターでスライドショーと話をする。
緊張して何をしゃべったんだか。

私にとっての写真は出会いという財産だという。
大事なことは伝わっただろうか?

写真に人生とか写り込むか疑問視する声もあった。

写真のレンズを通して写真家は何を写し取るのか。

たぶん人生をかけているからこそ写真に写りこむ出会いもあるのではないか?

私はたとえ話で写真と結婚しているという話をする。

写真に寄せる私の写真には愛があると語る。

もちろん理想論かもしれない。

しかし職業として写真を撮るものとしてそういう夢を語ってしまわずにいられない。

かといって主観や先入観で写真を見ているわけでもない。

写真はそこの場所や時間などを写しこむ。

写真は情報量だ。

写真に写り込む情報量は見る側の記憶を誘発する。

もちろん撮る側の記憶と見る側の記憶との温度差はある。

その温度差に私は葛藤したりもする。

初めてのシンポジウムのパネリストで舌足らずであったが御清聴いただいた方々には深く感謝している。

特に山田實先生にはチラシをお送りしたのでご来場いただき大変感謝しています。

これから更なる飛躍をしますのでこれからも応援お願いいたします。
  

Posted by とよチャンネル at 19:50Comments(5)TrackBack(0)写真ケセラセラ

2009年06月06日

第一回 コザ・てるりん祭

コザに惹かれるミュージシャンたちが集合した第一回コザ・てるりん祭
追善・知名定繁先生、小浜守栄先生、嘉手苅林昌先生、照屋林助先生

すごくよかった。
越来シーサーキッズ(獅子舞)や園田子供エイサーで和やかに開幕する。
てるりんにゆかりのある早々たる特に民謡のメンバーがすごかった。

知名定男さんの民謡も聴き応え満点!

よなは徹さんもよかった。

仲本興次さんと玉栄政昭さんはのワタブーショーの再現もてるりんを彷彿とさせる。

パーシャルクラブのボーカルでもある新良幸人さんもいい。

ゲンちゃん こと 前川守賢さんの嘉手苅林昌先生、照屋林助先生の物まねも笑えた。

とりは登川誠仁先生すごい!
お弟子さんもいい声していた。

やはり最後は園田エイサーで熱興さめやらぬままてるりん祭は来年も続く予定だ。



  

2009年06月06日

今週の一枚「新聞奨学生」:豊里友行


「新聞奨学生」(恵比寿)

私の写真学生としての東京での暮らしを支えてくれたのが新聞販売所だ。

そこで働きながら学校を卒業した。

つまり新聞奨学生だ。

豊里友行という写真家の育て親は新聞販売所でもあるのだ。










新聞販売所= http://toyoanneru123.ti-da.net/e1417075.html


『東京ベクトル』豊里友行写真集
= http://toyoanneru123.ti-da.net/e2592718.html

  

2009年06月06日

言葉にできない~ (小田和正)

ら~ら~ら~ら~ら~
言葉にできないという歌手の小田和正の歌じゃないけど写真を表現する時やはり言葉にできないところがある。

写真の財産は出会いに尽きる。

私は沖縄を撮る。

写真のレンズを通してそこにあるモノや時間を切り取る。

写真の記録性と情報量を活かしていきたい。

私は視力が弱いので写真機の記録性に頼るところが大きい。

沖縄のことを写真を通して知ることが私自身のアイデンティティーを知ることでもある。

私は沖縄に誇りを持ちたい。

嬉しいことも悲しいことも辛いことも写真を通して出会う全てのものに感謝している私の今がある。

つまり私なりの豊里友行の世界を創っていきたい。

小田和正の歌にも感謝!









小田和正=  http://www.youtube.com/watch?v=Z--siVJjgWs&feature=related  

Posted by とよチャンネル at 11:27Comments(0)TrackBack(0)音楽大好きっ子倶楽部

2009年06月06日

ヘリ基地いらない 二見以北 10区の会 

ヘリ基地いらない 二見以北 10区の会 
に紹介されています。







http://kichi-iranai.jp/d_10kumovement/d_konsyu/20090517/20090517.html  

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2009年06月04日

沖縄県写真協会Webギャラリー に作品載る!


沖縄県写真協会Webギャラリー に作品載る!
今月のWebギャラリー

























豊里友行の世界01= http://www.geocities.jp/okinawasyashinkyoukai/gallery/toyosato01.htm  

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2009年06月04日

俳誌 「 海  程  」2009年6月号453号が届く。

俳誌 「 海  程  」2009年6月号453号が届く。
昨月は私の作品が載っていなかった・・・。

  縄跳びの子らとぶ基地の内と外         豊里友行

  蟇子らの瞳は銃口か 

○ しらさぎが鍵穴のよう埋立地  




 







金 子 兜 太= http://kanekotohta.jp/
  

Posted by とよチャンネル at 16:06Comments(0)TrackBack(0)「月と太陽(ティダ)」俳句会