2008年08月06日

岸本マチ子の盗作について

岸本マチ子の盗作について
下記のクィクィ通信の「岸本マチ子の盗作について」を見てほしい!
 沖縄詩壇において石川為丸のホームページなどの岸本マチコの盗作について指摘がある。
それまで無言であったという岸本マチコ自身は「地球賞」(詩集「サシバ」)返上をしたか?
それら盗作へのどのような対処があったかが彼女が、詩壇、俳壇において活躍すればするほど盗作をした後の「沈黙」という対処に疑問が残る。

 俳壇においても島田牙城らにより問題になった。
また当時の沖縄俳壇においても野ざらし延男、おおしろ建、平敷武蕉らにより批判されている。

 俳句において類想、類句は多い。
その時は先に紙面になっているものに敬意を表して類句を取り下げる。
そうすれば仲たがいをすることも避けれる。
私は岸本氏の盗作について強く批判すべきだと思っている。
それにたいしてある大御所の俳人は「本歌取り」を取り上げて彼女をかばう。
しかし俳壇においての本歌取りをいうのと詩の話は違う。
つまり盗用についてきちんと謝罪がなされないまま「沈黙」によって逃げ延びた岸本の姿勢を正さない行為とその姿勢がまずいと思う。
優れた資質を持った人物だけにこの歪んだ姿勢が後世の詩壇、俳壇への悪い方向性を生みだしはしないか危惧する。




  人体の飛沫は宇宙聖火鳴る    友行

  ふりむけば源氏とロミオ葉桜か   友行  
 
                   (月と太陽(ティダ)俳句会代表)








本歌取りとは、和歌、連歌などの技巧の一つ。すぐれた古歌や詩の語句、発想、趣向などを意識的に取り入れる表現技巧。新古今集の時代に最も隆盛した。転じて、現代でも絵画や音楽などの芸術作品で、オリジナル作品へのリスペクトから、意識的にそのモチーフを取り入れたものをこう呼ぶ。オリジナルの存在と、それに対する敬意をあきらかにし、その上で独自の趣向をこらしている点が、単なるコピー(パクリ)とは異なる。( はてなダイアリー)


正しいパクり方――藤原定家の「本歌取りの方法」= http://kotonoha.main.jp/2004/03/29honkadori.html

 「盗用」について、著作権的な観点から言うならば、「もともと他の人が作ったものを利用している、という事実と、その範囲を、誰の目にもすぐわかりやすいような形で示さないものは、盗用」と言ってしまっていいと思う。不正な転載は盗用である。
 また、「情報を共有する」ということは決して「著作権を放棄する」ことにはならない。著作者人格権を守りつつ、しかもそのリソースを活用できるようにするために著作権法があり、盗用にならないよう適切に引用するための規定があるわけである。
 適切な引用については「引用」は無断でやるのが当たり前で書いたのでご参照を。

 さて、私たちは、他の人の業績を利用してさらにそこに新しいものを付け加え、アレンジすることができる。それが単なる「盗用」になるのか、それとも「アレンジ」「翻案」「パロディ」になりえるのか、という分かれ目は、結局のところ「もとの作者への感謝と尊敬」の念を表現するか否かにあると思う。
 そして、日本人は古来、盗用にならないように上手に他人の業績を活用してきた。その代表例が「本歌取り」だ。今回は、鎌倉時代前期の有名な歌人・藤原定家の本歌取りについての論を現代語訳してみよう。








島田牙城
= http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/hyousetu.htm
= http://d.hatena.ne.jp/Gajau/

クィクィ通信=
 http://www.h3.dion.ne.jp/~kuikui/index.htm

地球賞受賞作紹介
= http://www.e-hon.ne.jp/bec/SC/PrizeInform?SHOUCD=322

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