2010年05月17日

藤井秀樹校長先生の訃報

藤井秀樹校長先生の訃報
タイトル:越前雄島の美しい自然:撮影 藤井秀樹先生

日本写真芸術専門学校の藤井秀樹校長先生が亡くなる。
私は2年生の時の特別授業で代表撮影をしたので直接教わっている(その時は秋山庄太郎先生が校長先生で藤井秀樹先生が副校長だった)。
藤井秀樹先生の写真展の際、作品集をいただいたのは今でも私の宝物だ。
「東京にばかりたくさん写真家は集中している。だがもっと世界に(写真家は)飛び出さないといけない」
藤井秀樹先生はミスター沖縄と私のことを呼んでくれていた。
それから卒業してすぐに沖縄に根ざした写真家になろうと帰郷した。
本当にご冥福を祈ります。







藤井秀樹先生(日本写真芸術専門学校校長)との出会い
= http://toyoanneru123.ti-da.net/e2066423.html


日本写真芸術専門学校 特別講義 藤井秀樹~
= http://www.youtube.com/watch?v=R48Z4K68I04&feature=related

藤井先生= http://ambition-photogallery.com/profile.php?id=77


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Posted by とよチャンネル at 19:08│Comments(9)小説 とよチャンネル
この記事へのコメント
報:藤井秀樹さん75歳=写真家
 藤井秀樹さん75歳(ふじい・ひでき<本名・秀喜=ひでき>写真家)3日、肝臓がんのため死去。葬儀は8日午前10時半、神奈川県厚木市水引2の10の38のJAあつぎ第2グリーンホール。喪主は長男立秀(たつひで)さん。

 故・秋山庄太郎に師事。広告写真や女優のポートレートなどを手がけ、カンボジア支援活動も行った。日本写真芸術専門学校の校長を務めていた。

毎日新聞 2010年5月5日 0時40分
Posted by とよチャンネルとよチャンネル at 2010年05月17日 19:10
藤井秀樹氏死去 写真家(05/05 00:18)




 藤井 秀樹氏(ふじい・ひでき=写真家、本名秀喜=ひでき)3日午後5時43分、肝臓がんのため東京都八王子市の病院で死去、75歳。東京都出身。葬儀・告別式は8日午前10時半から神奈川県厚木市水引2の10の38、JAあつぎ第2グリーンホールで。喪主は長男立秀(たつひで)氏。

 秋山庄太郎氏に学び、広告写真の分野で活躍、カンボジア支援にも尽力した。日本広告写真家協会会長も務めた。日本写真芸術専門学校校長。
Posted by とよチャンネルとよチャンネル at 2010年05月17日 19:12
【よこ顔】「写真って生き物」を魅せてくれる。=華麗な写真家、藤井秀樹さん
2007年05月21日13時38分 / 提供:PJオピニオン

写真拡大
"A Beard Fujii-san" (撮影:池野 徹) 写真一覧(5件)五月にしては、やや肌に汗の浮かぶ日だった。暮れなずむ銀座の人通りから抜けた一角にあるキャノンギャラリー銀座で写真展のオープンパーティがあった。写真家、藤井秀樹(72)さんの“Collaboration”展だった。藤井さんは、キャリアのあるプロの写真作家だが、近年、写真の可能性を広げるパフォーマンスを見せてくれている。写真は印画紙のみにプリントするものでない、自由に素材を選びプリントできる、液体乳剤を考案し「Fグラ」と命名し、紙、布、木、石にプリントした作品を発表している。今回は、それをデータ化して自身の写真に,作家とのコラボレートを試みた写真展であった。

 会場は空間スペースとフロア面に蓮の花のイメージ写真をプリントした布と紙がディスプレイされ、ライティングに藤井さんの作品が浮かび上がっていた。映画の美術作家の星埜恵子さんの演出である。モノクロの美しい女性のモデリングに、鮮やかな彩色がされた作品がある。イタリアのフィレンツエに15年も住む画家、高野倉さかえさんとのコラボレート作品だ。デジタルでは出しにくい、ゴールド、シルバー、パール系の彩色を取り入れている。

 なんと750点もの写真を藤井さんは高野倉さんに提示したそうだ。やや冷たいフェイスの写真に色が踊っている。同じ、フェイストーンの写真に、アイビイ風のイラストレーションが細密に描かれているコラボ作品は、若いイラストレーター鳥羽史仁さんとの作で、東京工芸大学写真科の酒井孝彦さんのディレクションでもある。目を魅く男女の仮面があった。創作人形作家でもある、里華さんの作品である。顔下半分はリアルであるが、上半分はその人の感情表現されている。血路が浮かぶ恐い表現だ。藤井さんは写真で仮面人物を表現している。

 藤井秀樹さんは1954年、日本大学芸術学科写真学部を出て、故・秋山庄太郎氏に師事。日本デザインセンターを経て、1963年フリーランスになり、マックスファクターのコスメティック、ファッション写真を撮り、女性専科のカメラマンとして名を馳せる。その鋭い眼光でスタティックな写真は、モデルの持っている美しさを100パーセント表現するプロの写真作家だった。私もバンドエイド等のイメージコマーシャルを共にした経緯がある。

 その後、「ZOOM」掲載等、ヨーロッパ・フォトユニオン講師、西ドイツAWI名誉会員、1980年代、ハンブルグ招聘、ニューヨークADC賞、APA賞、中国撮影学界審査委員、1990年代、シシリー島でのワークショップ、ベルギーセントルーカスカレッジ講師、サンデー毎日誌の著名写真家シリーズ連載等、写真集も多数あるが、コマーシャル、アートの写真家として、動きの鋭い作家であった。

 しかし、アメリカでプラチナプリントの作家、井津建郎さんにインスパイアされ、1990年、アンコールワット、カンボジアを訪れた際に、東南アジアの戦火での、今でも地雷に怯え生活する、孤児達の悲惨な姿に触発されて、今迄に20回も現地を訊ね、写真を撮っている。現在は、日本写真芸術専門学校の校長として、中国を始め東南アジアの学生を受け入れ、身障者、高齢者のための写真展開催を、「写真パラリンピック」まで高めるよう提唱している。今回もカンボジアの最新の写真を8x10(エイトバイテン)のカメラで撮影された作品を展示している。エイトバイテンサイズのカメラはプロの見せ所であり一見する価値がある。

 あの華麗なファッション写真家、藤井秀樹さんがなぜ、戦時被害者の戦争孤児の写真を撮っているのか。謎であったが、藤井さんの人との接し方、敏捷な行動力、外国を見る視野の広い眼から来る経験が、カネだけのコマーシャル、美だけのファッションを越えて、人間的な人を感じる世界へ入ったのは、藤井さんとのインタビューで感じられた事である。当然かも知れないと思ったのである。日本広告写真家協会の会長を務めた事もある人だが、写真というアートメディアの低評価、写真家のポジションを真に認めてもらえる、失われつつある日本の文化社会に寄与できる確固たるプロの写真家であると思う。

 ギャラリーでの藤井さんの高校時代からの馴れ初めの奥様の、明るい振る舞いが印象的な夜であった。写真ってコラボレーションできる生き物だと思うし、その真髄の一端を魅せてくれた藤井秀樹さんの写真展であった。
Posted by とよチャンネルとよチャンネル at 2010年05月17日 19:14
 写真家の藤井秀樹(ふじい・ひでき 本名・秀喜=ひでき)氏が、5月3日、肝臓がんのため亡くなった。75歳だった。告別式は5月8日午前10時30分から、JAあつぎ第2グリーンホール(神奈川県厚木市水引2-10-38)、喪主は長男の藤井立秀(たつひで)氏。

 藤井秀樹氏は、1934(昭和9)年8月28日、静岡県に生まれ、まもなく東京に転居。故・秋山庄太郎氏に師事後、57年に雑誌「服装」に入社。60年には日本デザインセンター設立とともに入社する。63 年にフリーとなり、スタジオを開設。以後、広告写真の分野などで幅広く活躍した。

 日本の伝統的な美意識を凝らした写真表現を追及したことも印象深い。写真集の出版も多く、女優のポートレートなども数多く手がけた。作品集に『からだ化粧』『水の精』『藤井秀樹一人と作品』『八代亜紀写真集』『藤井秀樹 女優 写真集』『夏目雅子写真集』『カンボジアと子供たちの戦後』ほか。

 貧困・人身売買などカンボジアの子供たちが置かれた現状を伝える著書を出版するとともにカンボジアの支援にも尽力していた。

 日本写真芸術専門学校、呉学園の校長ならびに日本広告写真家協会顧問、日本華道連盟顧問も務めた。
Posted by とよチャンネルとよチャンネル at 2010年05月17日 19:16
藤井秀樹氏(写真家)が死去
 藤井秀樹氏(ふじい・ひでき=写真家)3日、肝臓がんで死去。75歳。告別式は8日午前10時30分、神奈川県厚木市水引2の10の38JAあつぎ第2グリーンホール。喪主は長男、立秀(たつひで)氏。


 秋山庄太郎氏に師事し、広告写真の分野で活躍。女優のポートレートを数多く手がけたほか、カンボジア支援に尽力した。日本広告写真家協会顧問。

(2010年5月4日23時03分 読売新聞)
Posted by とよチャンネルとよチャンネル at 2010年05月17日 19:18
え〜全然知らなかったよ。
本当に藤井先生は最高にカッコイイ写真家だった。
ご冥福をお祈りいたします。

豊里君お久しぶりです。
実は昨年の10月に僕もガンを患ってしまい、現在は奈良の実家で抗がん剤治療をしています。手術でガンは切除出来たので、完治する方に向かっています。
カメラマンは休業状態ですが・・
頻繁にブログにオジャマしてます。
沖縄も大きな問題が動いてるので撮影も忙しいと思いますが、お体を大事に!一年に一回の健康診断は本当にオススメです!
Posted by 田中 at 2010年05月17日 22:59
私が写真を遣り始めて最初に興味をもったのが当時資生堂「花椿」の写真を撮られていた藤井秀樹さんでした。
 今初めて知ったのですが日大芸術学部なんですね。
当時はコマーシャルフォトが花形でした。随分憬れたものです。
 75歳ですか。。。若すぎますね。すごく残念です。
Posted by ゆきさん at 2010年05月17日 23:07
田中さんへ
本当に言葉が思いつきません・・・。
といっても思い出せることをブログに心に留めておきたいと思います。

そうだったんですか・・・。
小橋君から帰郷しているとは聞いていましたが・・・。
驚いています。
完治するほうに向かっているとのこと。
よかったです!
写真家の江成常夫氏も同じ病気でうつ病にもなっていました。
写真が心のささえにしていたのでしょう。
自分自身を撮影して写真集にもなりました。
田中さんも食うための写真にこだわらず写真を生きるささえにしてみてはどうでしょう。
療養中でしょうが体が一番です。

せっかくブログに来てくれているなら書き込みしてやってください。
もしくはメールしてくれれば私の写真集お送りします。
これからもどうかよろしくお願いします。

toyozato-tomoyuki@hotmail.co.jp 
Posted by とよチャンネル at 2010年05月18日 15:13
ゆき さんへ

いつもお世話になっています。
人生は人それぞれ天命があるとおもいますがショックを受けています。
ちょうど『彫刻家 金城実の世界』をお送りしていたので返事がないのを気にかけていました。
大変残念でなりません。
本当にご冥福を祈ります。
Posted by とよチャンネル at 2010年05月18日 15:19
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