2006年03月12日
「バーコードの森」豊里友行句集(04年 俳 句 )
僕は、高校卒業のころから本格的に俳句を始めた。
僕の写真家としての姿勢も俳句から学ぶ点が多い。
時々、「バーコードの森」豊里友行俳句集からを俳句紹介します。
どうか俳句鑑賞も試みてください。
インターネットの地球を回す水澄まし 友行
「バーコードの森」豊里友行俳句集参考資料
沖縄タイムス2003年1月25日 詩歌の本「沖縄人として探る沖縄」(金城実・彫刻家)
彫刻家である私が俳句をどう読み切るか、自身は全くないが、表現者としての領域で思いを巡らせれば見えてくるものがあろうと踏み込んでみた。
彫刻家にとっての素材に粘土がある。
文章家にとってそれは活字になるであろう。
表現の言霊は表現の外域にあることについてはお互い意識している。
豊里と私の共通点は沖縄人である。
句集を開くと、「十九歳」という句が目に飛び込んでくる。
教室を出る夢探しの入道雲
樹のラインに湧き立つ雲は十九歳
豊里は現在二十六歳、八年間の時空で、彼が沖縄をどうとらえ、自己の存在を表現してきたかがよく分かる。
東京に生きながら、たえず沖縄の空を想う。
影のない藻になる煩悩の電車
異郷の風巻いてどれも象の耳
缶詰電車ストローから吐く白い影
は、都会にあって譲れない沖縄人としてヤマトと拮抗(きっこう)する。
そして大きな宇宙軸で、
島言葉ぐいぐい吸う三日月のストロー
に踏み込み、さらに沖縄の現実をにらんで、
地を泡立てる啓蟄の不発弾
かみんぐゎ
洞窟(ガマ)が吐くあけもどろ
うみんぐゎ
彼は沖縄戦を抱き込んでガマの暗闇から太陽をのぞく。
虐げられた者や権力者の光と影。
また、生命を育(はぐく)む小さき者を対じして社会派として生きる。
時には雑誌「週刊金曜日」等のカメラマンとしてレンズを通し、沖縄を探る。
その目の広大さに驚かされる。
沖縄の若者にこういう人がいることをとても誇らしく思う。
ぜひ沖縄の若い人たちに読んでいただきたい句集である。
琉球新報2003年1月26日 書評「すぐれた感性に出会う」(池宮城秀一・小説家)
客足がすっかり枯れ、無残な川床をさらしている商店街がある。
一方、はやっている大型スーパーへ行ってみると今にもはんらんしそうな増水ぶり。
いったいいくつの流れを束ねるとこれだけの水かさになるのか。
また幾つの村々を呑み込めばこれだけの川幅になるのだろうと思わずにいられない。
屋号呑み込むデパート蛙になる
かつての村々では人々の顔がよく見えたものだ。
顔には村の風景が透かしのように入っていたから。
屋号もその一つ。
屋号は土地の起伏や地勢、方位等と結びついたものが多い。
だからみんなどこどこ(地縁)のダレということになるし、ダレダレ(血縁)のなにがしということになるのだ。
それにしても、この混雑。
このザワザワ。
作者豊里友行もそこにかつてあったであろう大合唱をオーバーラップさせたのではないか。
ニンベン
イ とはぐれバーコードの森に入る
ここはもはや川というより海だ。
これだけの人間の量を扱うには十把一からげでなくてはなるまい。
巨大カエルの中はバーコードの森でもあったのだ。
マチヤグヮーのおばあさんとやりとりしたことばはもうかったるいばかり。
ことばは邪魔だから持って帰っておくれ。
さ、そこは退いた退いた。
雲一つ持って記号のミジンコでいい
デパートからとっと帰ってきたヒトリゴト。
それはミジンコの雲のようなものかもしれない。
切ない。
でもミジンコはマクロ宇宙の合わせ鏡。
それはきび畑に建つあの大型デパートだってかりそめの幻影にすぎないことをあばくのだ。
屋上のアドバルーンが泡沫(ほうまつ)にすぎないように。
豊里友行。
すぐれた感性に出会ったように思う。
また一人楽しみな表現者が登場した。
手のひらが牛蒡になるまで夢掴む
「俳句原点」106号2003年4月 新刊紹介 口語俳句文庫⑥
バーコードの森 豊里友行句集
著者は一九七六年、当年二六歳。
沖縄の「天荒」(野ざらし延男主宰)の同人である。
その野ざらし氏の解題の末尾でこういう。
”・・・沖縄の精神風土を根に持ち、今後、如何なる方向へ進むかは未知数である。
日常の生活感から生ずる平衡感覚を揺さぶる感性の詩刃はますます鋭化し、表現の領域は拡大していくであろう。
創造の泉を求めて俳句の鞭は鳴り続け、言葉の狩人としての試練は続く。”
とある。
二十代の可能性を多分にもった新鋭句集に、まず拍手をおくろう。
人生の実を捥ぐにきびのクレーター
青バナナむけば炎の鮫になる
糸瓜咲くプルトニウムの根の回路
魚眼のままに洞窟裏返す初日
にんべん
イ とはぐれバーコードの森に入る
こおろぎがふるさとでしたまわたのよる
ユウウツノイシハラムジンベイザメ
疑惑の雨音基地背負う蝸牛
コンビニの惑星の孤独回遊魚
被爆の嗚咽銀河へ運ぶ天道虫
月じんじん
肺胞の珊瑚
砂ぎらぎら
青年らしい感性がみごとに凝縮している。
終わりの三行の詩にも、俳句性を失わぬ実験がある。
可能性を、もっと追求してもらいたいものだ。
すばらしい新鋭の登場だ。
沖縄タイムス2003年1月19日 俳句時評〈1月〉「豊里友行、開拓と挑戦の新句集」金城けい(「タイムス俳壇選者」)
(一部抜粋)
昨年暮れに、豊里友行句集『バーコードの森』(天荒俳句会)が出版された。
バーコードとは見えない所でうごめく数字、そしてその背後で暗躍する現代の人間社会を映している言葉で、「イ(にんべん)とはぐれバーコードの森に入る」から取られたものであり、非人間性に対する告発はすでに題名から始まっている。
タイムス俳壇投句の折、十代の作者の感性に新鮮さと衝撃を覚え、入賞句として度々取り上げた。
夜のパンに鮫のかなしみをぬる
守宮鳴く釈迦の瞼の動くごと
また、東京での学生生活の中で生まれた句には、沖縄への視線をたえず走らせつつ都会生活のもたらす空虚さ、そして沖縄にはないもろもろの情景を五感を駆使し詠い込んだ佳句が多い。
青田に抱かれ涙線となる列車
影のない藻になる煩悩の列車
沖縄の先行きに対してこう詠っている。
有事ぽろぽろ星の音譜消す
葉の喝采雨は安保の迷宮入り
句集の最終章では、幾何学的な言葉の配列を試みている。
たえず新しい俳句を開拓し、挑戦する姿勢は、沖縄の俳句界を轟かすに違いない。
沖縄タイムス2003年12月14日 俳句時評〈12月〉おおしろ健
(一部抜粋)
今年一番の収穫は一九七六年生まれの豊里友行であろう。
昨年出版の句集『バーコードの森』や俳句活動が評価され、二月に第三十七回「沖縄タイムス芸術選賞」文学部門(俳句)で奨励賞を受賞。
この「俳句時評」でもすでに紹介したが、『俳句研究』八月号の仙田洋子「俳誌展望」でも好意的に評され、浦田義和の「新報文芸」でも大きく取り上げられた。
そして今度は、角川書店の『俳句』一月号増刊である二〇〇四年版『俳句年鑑』に登場。
年代別「二〇〇三年の収穫」〔二十・十代〕のコーナーの最初に紹介されている。
しかもタイトルは「沖縄の新しい風など」とあり、他の新人との期待度が違う。
筆者の佐怒賀正美は次のように紹介する。
「沖縄の俳誌『天荒』の若手有望株」「詩的創造力に満ちた句に惹かれた」「風土感と社会批評を底時敷きにした個性的な主張と詩的イメージの豊かさがある」。
さらに「野ざらし氏の的確な評論への全信頼のもとに、豊里氏の冒険や試行も大量に行われ、その成果も豊かなものとなった」と述べる。
最後に「今後の大きな活躍が楽しみな存在だ」と結ぶ。
この紹介文の掲載には幾つか大事なことがある。
まず伝統俳句が中心の『俳句』に、伝統俳句とは遠い存在の句集が紹介されたこと。
次に二十代で句集を出すことによる将来への期待感。
そして、豊里が所属する俳句同人誌『天荒』の存在である。
同誌が全国で評価されていなければ、いくら才能があっても無名な若者が取り上げられるのは難しいことだろう。
舞台があっての役者である。
信頼のおける代表が持てることは幸いである。
HASHING-EXPO
銀河 豊里友行句集『バーコードの森』鑑賞 =http://plaza.rakuten.co.jp/hashingexpo/4003
沖縄タイムス2003年20日【特集】
2002年度第37回沖縄タイムス芸術選賞 奨励賞(文学)《俳句》
高校時代より作句、昨年十二月に句集「バーコードの森」を出版。作品は感性を主軸にとらえた透明感のある作品で、現代を生き生きと活写し、言葉に喚起力があり、詩的言語空間をつくり出している。大器の風格があり、沖縄俳句界の新星と評価され、今後の飛躍が期待される。
句集『バーコードの森』 自選30句 豊里友行
(俳句同人誌 天荒 15号 特集 豊里友行句集『バーコードの森』より)
にんべん
イ とはぐれバーコードの森に入る
腹話術のダック臍に飼う群衆の砂
夜のパンに鮫のかなしみをぬる
守宮鳴く釈迦の瞼の動くごと
糸蜻蛉とどまれば月の眼球
蟋蟀の鳴くたび星のポンプ漕ぐ
地はたちまち化石の孵化のどしゃぶり
蝶とまり湯槽のような空動く
青バナナむけば炎の鮫になる
糸瓜咲くプルトニウムの根の回路
影のない藻になる煩悩の電車
出家のヨットのごと陽を巻くトンボ
屋号呑み込むデパート蛙になる
棲みついた鮫が泣くのかレントゲン
棺か蛹か蝶の鍵穴のテロ
葉の喝采雨は安保の迷宮入り
捨て石の戦火を泳ぐ亀甲墓
天軸弾く爆心地のあめんぼ
フレルトイワニナルシュウダツノアマオト
轟音の鼠となり空齧るフェンス
ティダ とよ
月も太陽も魚鱗の響み島暦
悪霊散らす流星の石敢當
退屈な歩幅コンビニ星人でいる
蜘蛛の巣の雨は果肉だ春の風邪
UFOです水溜りの夢は朝焼け
曼陀羅の蜘蛛の糸引くマウンド
梅が咲くそこに銀河の圧縮音
能面が迫る孑孑の足音
ジュゴンの打楽器海の挽歌ですか
諸行無常の季語いかがビニールハウス
琉球新報2003年8月30日
新報文芸(浦田義和・佐賀大学教授)
「 宇宙を力強く対照
喚起力ある奇抜な暗喩 豊里友行句集「バーコードの森」」
俳句同人誌『天荒』十五号(天荒俳句会)は、豊里友行句集『バーコードの森』を特集している。
特集は自選三十句と、天荒会員による鑑賞と、野ざらし延男による句集解題からなっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
自選三十句に収められた一九九五年から二〇〇二年までの内、九六年より九句、九七年より3句、九九年より一句、〇一年より七句、〇二年より十句選ばれ、8年間の句作のほぼ全体に視野が及んでいる。
この中から筆者の眼に留まった句は、以下のとおりである。
「糸蜻蛉とどまれば月の眼球」
「蟋蟀の鳴くたび星のポンプ漕ぐ」
「蝶とまり湯槽のような空動く」
「天軸弾く爆心地のあめんぼ」
「梅が咲くそこに銀河の圧縮音」
これらはいずれも昆虫や小さな花と広大な風景を対照させたもので、宇宙を感じると共に、むしろ地上の微小な存在という一点に作者の眼は注がれていて、存在への哀惜すら感じられるものである。
抒情に流れないために宇宙を力強く対照させているので、哲学的といってもいい雰囲気を感じさせる。
自選句以外の「一点の蟻がたぐりよせる水平線」もそういう意味で見事な句と思う。
それらの句について、会員の鑑賞では、「蟋蟀の」の句について「コオロギの鳴響をはるか天空できらめいている星のポンプから流されてくる音と捉(とら)えた句」(玉城秀子)と、星の明滅とコオロギの鳴き声を結びつけ、「一点の蟻」については「蟻は水平線を引っ張って来ます。水平線よりも大きくなるのです」(当山恵子)、「蝶とまり」では「寝転ぶと空は湯槽。(略)やがて蝶は止まり、動くのは空」(同前)と視線に注目している。
慧眼(けいがん)である。
他の特徴として、一見奇抜な暗喩(あんゆ)の使用がある。
「夜のパンに鮫のかなしみをぬる」
「青バナナむけば炎の鮫となる」
「棲みついた鮫が泣くのかレントゲン」
これらはいずれも己への言及だろう。
「青バナナ」の句に関しては、「俳句に情熱を燃やす青年『青バナナ』が痛い。青い皮を剥いたら現代俳句の『炎の鮫(さめ)』になったという」(小橋川忠正)とも、「青バナナは青年友行の肉体を象徴し、鮫は精神を暗示している」(野ざらし延男)とも鑑賞されている。
野ざらしは「夜のパン」の句を「孤独と憂愁と自慰」と捉えている。
更に作者が、「鮫」を立ち上がらせていけば、金子光晴の「おっとせい」ほどの喚起力を身に付ける可能性があろう。
・・・・・・・・・・・・・・
これらのほかに、状況への発言がある。
「糸瓜咲くプルトニウムの根の回路」
「轟音の鼠となり空齧るフェンス」
「捨石の戦火を泳ぐ亀甲墓」
「ジュゴンの打楽器海の挽歌ですか」
これらは、同人誌「天荒」のマニュフェスト「今まで誰も成し得なかったことを成し遂げる破天荒を目指して、心血を注ぐ」にふさわしい。
「轟音の」の句については「鼠(ねずみ)の大群の一匹となり基地を齧り消滅させたいものだ」(牧野信子)とあり、「捨石の」の句について「沖縄の過去の歴史と風俗と現実の矛盾を見据えつつ、そこに鋭く切り込もうとする思想の刃を内蔵した太々しさがある」(平敷武蕉)と鑑賞されている。
今後、さらに言葉がクリアに磨かれていく事を期待したい。
『俳句研究』八月号平成十五年八月(富士見書房)
「俳誌展望」 仙田洋子より
◇南国のエネルギー
(前文省略)
紙面も残り少なくなったが、最後に「天荒」十五号を読む。
沖縄県で発行、野ざらし延男氏が代表を務める。
本土とは明らかに違う、南国の置かれた厳しい現実を感じずにはいられない。
「天荒」とは「破天荒」の故事に由来し、未開拓の荒野や天地未開の混沌とした状態を指す。
「天荒の二文字”破”の一文字を冠するため、心血を注ぐ」と頼もしい決意が書かれている。
(省略)
特集は、第三十七回「沖縄タイムス芸術選賞奨励賞」を受賞した豊里友行氏の「バーコードの森」。
俳壇の若手というのは随分底上げされているが、豊里氏二十六歳、本物の若手である。
ただ単に若いというだけでなく、端々しい感覚に恵まれた、鮮烈な詩的創造力が眩しい。
誌面での嬉しい出会いだ。
樹のラインに湧き立つ雲は十九歳 豊里友行
蟋蟀(こおろぎ)の鳴くだび星のポンプ漕ぐ
青バナナむけば炎の鮫になる
ティダ とよ
月も太陽も魚鱗の響み島暦
寝転んだ季語も馬糞も銀河の野
梅咲いてそこに銀河の圧縮音
季語と馬糞の並列に驚くのは私だけだろうか。今後の今後の更なる活躍を期待したい。
『俳 句』 1月号増刊号(角川書店)
二〇〇三年度版『 俳 句 年 鑑 』
年代別「二〇〇三年の収穫」〔二〇代・一〇代〕
「沖縄の新しい風など」
豊里友行(昭和五十一年九月二十三日生)
沖縄の俳誌「天荒」(主宰・野ざらし延男)の若手の有望株。
第一句集『バーコードの森』を刊行し、第三十七回「沖縄タイムス芸術選賞奨励賞」を受賞した。
その句集からは、
樹のラインに湧き立つ雲は十九歳 『バーコードの森』
青バナナむけば炎の鮫になる 〃
捨て石の戦火を泳ぐ亀甲墓 〃
あまわり
蛙鳴くついに阿摩和利の岩を吐く 〃
ティダ とよ
月も太陽も魚鱗の響み島暦 〃
など詩的創造力に満ちた句に惹かれた。
これらの句には、風土感と社会批評を底敷きにした個性的な主張と詩的イメージの豊かさがある。
主宰・野ざらし氏の的確な評論への全信頼のもとに、豊里氏の冒険や試行も大量に行われ、その成果も豊かなものとなった。
かみんぐゎ
洞窟(ガマ)が吐くあけもどろ
うみんぐゎ 『バーコードの森』
の新三行詩的俳句にも視覚的にも豊かな新世代の俳句の誕生を見た。
今年の新作からは、
撮始め双葉は月と太陽(ティダ)のワルツ 『俳壇』5月号
岬は蛹魂(タマ)も弾も眠れねむれ 〃
などを引く。
一句目にあるように豊里氏は写真家。
二句目の、物の奥に眠る「こと」に触れた作品も哀切な感情が祈りとなっていよう。
今後の大きな活躍が楽しみな存在だ。
僕の写真家としての姿勢も俳句から学ぶ点が多い。
時々、「バーコードの森」豊里友行俳句集からを俳句紹介します。
どうか俳句鑑賞も試みてください。
インターネットの地球を回す水澄まし 友行
「バーコードの森」豊里友行俳句集参考資料
沖縄タイムス2003年1月25日 詩歌の本「沖縄人として探る沖縄」(金城実・彫刻家)
彫刻家である私が俳句をどう読み切るか、自身は全くないが、表現者としての領域で思いを巡らせれば見えてくるものがあろうと踏み込んでみた。
彫刻家にとっての素材に粘土がある。
文章家にとってそれは活字になるであろう。
表現の言霊は表現の外域にあることについてはお互い意識している。
豊里と私の共通点は沖縄人である。
句集を開くと、「十九歳」という句が目に飛び込んでくる。
教室を出る夢探しの入道雲
樹のラインに湧き立つ雲は十九歳
豊里は現在二十六歳、八年間の時空で、彼が沖縄をどうとらえ、自己の存在を表現してきたかがよく分かる。
東京に生きながら、たえず沖縄の空を想う。
影のない藻になる煩悩の電車
異郷の風巻いてどれも象の耳
缶詰電車ストローから吐く白い影
は、都会にあって譲れない沖縄人としてヤマトと拮抗(きっこう)する。
そして大きな宇宙軸で、
島言葉ぐいぐい吸う三日月のストロー
に踏み込み、さらに沖縄の現実をにらんで、
地を泡立てる啓蟄の不発弾
かみんぐゎ
洞窟(ガマ)が吐くあけもどろ
うみんぐゎ
彼は沖縄戦を抱き込んでガマの暗闇から太陽をのぞく。
虐げられた者や権力者の光と影。
また、生命を育(はぐく)む小さき者を対じして社会派として生きる。
時には雑誌「週刊金曜日」等のカメラマンとしてレンズを通し、沖縄を探る。
その目の広大さに驚かされる。
沖縄の若者にこういう人がいることをとても誇らしく思う。
ぜひ沖縄の若い人たちに読んでいただきたい句集である。
琉球新報2003年1月26日 書評「すぐれた感性に出会う」(池宮城秀一・小説家)
客足がすっかり枯れ、無残な川床をさらしている商店街がある。
一方、はやっている大型スーパーへ行ってみると今にもはんらんしそうな増水ぶり。
いったいいくつの流れを束ねるとこれだけの水かさになるのか。
また幾つの村々を呑み込めばこれだけの川幅になるのだろうと思わずにいられない。
屋号呑み込むデパート蛙になる
かつての村々では人々の顔がよく見えたものだ。
顔には村の風景が透かしのように入っていたから。
屋号もその一つ。
屋号は土地の起伏や地勢、方位等と結びついたものが多い。
だからみんなどこどこ(地縁)のダレということになるし、ダレダレ(血縁)のなにがしということになるのだ。
それにしても、この混雑。
このザワザワ。
作者豊里友行もそこにかつてあったであろう大合唱をオーバーラップさせたのではないか。
ニンベン
イ とはぐれバーコードの森に入る
ここはもはや川というより海だ。
これだけの人間の量を扱うには十把一からげでなくてはなるまい。
巨大カエルの中はバーコードの森でもあったのだ。
マチヤグヮーのおばあさんとやりとりしたことばはもうかったるいばかり。
ことばは邪魔だから持って帰っておくれ。
さ、そこは退いた退いた。
雲一つ持って記号のミジンコでいい
デパートからとっと帰ってきたヒトリゴト。
それはミジンコの雲のようなものかもしれない。
切ない。
でもミジンコはマクロ宇宙の合わせ鏡。
それはきび畑に建つあの大型デパートだってかりそめの幻影にすぎないことをあばくのだ。
屋上のアドバルーンが泡沫(ほうまつ)にすぎないように。
豊里友行。
すぐれた感性に出会ったように思う。
また一人楽しみな表現者が登場した。
手のひらが牛蒡になるまで夢掴む
「俳句原点」106号2003年4月 新刊紹介 口語俳句文庫⑥
バーコードの森 豊里友行句集
著者は一九七六年、当年二六歳。
沖縄の「天荒」(野ざらし延男主宰)の同人である。
その野ざらし氏の解題の末尾でこういう。
”・・・沖縄の精神風土を根に持ち、今後、如何なる方向へ進むかは未知数である。
日常の生活感から生ずる平衡感覚を揺さぶる感性の詩刃はますます鋭化し、表現の領域は拡大していくであろう。
創造の泉を求めて俳句の鞭は鳴り続け、言葉の狩人としての試練は続く。”
とある。
二十代の可能性を多分にもった新鋭句集に、まず拍手をおくろう。
人生の実を捥ぐにきびのクレーター
青バナナむけば炎の鮫になる
糸瓜咲くプルトニウムの根の回路
魚眼のままに洞窟裏返す初日
にんべん
イ とはぐれバーコードの森に入る
こおろぎがふるさとでしたまわたのよる
ユウウツノイシハラムジンベイザメ
疑惑の雨音基地背負う蝸牛
コンビニの惑星の孤独回遊魚
被爆の嗚咽銀河へ運ぶ天道虫
月じんじん
肺胞の珊瑚
砂ぎらぎら
青年らしい感性がみごとに凝縮している。
終わりの三行の詩にも、俳句性を失わぬ実験がある。
可能性を、もっと追求してもらいたいものだ。
すばらしい新鋭の登場だ。
沖縄タイムス2003年1月19日 俳句時評〈1月〉「豊里友行、開拓と挑戦の新句集」金城けい(「タイムス俳壇選者」)
(一部抜粋)
昨年暮れに、豊里友行句集『バーコードの森』(天荒俳句会)が出版された。
バーコードとは見えない所でうごめく数字、そしてその背後で暗躍する現代の人間社会を映している言葉で、「イ(にんべん)とはぐれバーコードの森に入る」から取られたものであり、非人間性に対する告発はすでに題名から始まっている。
タイムス俳壇投句の折、十代の作者の感性に新鮮さと衝撃を覚え、入賞句として度々取り上げた。
夜のパンに鮫のかなしみをぬる
守宮鳴く釈迦の瞼の動くごと
また、東京での学生生活の中で生まれた句には、沖縄への視線をたえず走らせつつ都会生活のもたらす空虚さ、そして沖縄にはないもろもろの情景を五感を駆使し詠い込んだ佳句が多い。
青田に抱かれ涙線となる列車
影のない藻になる煩悩の列車
沖縄の先行きに対してこう詠っている。
有事ぽろぽろ星の音譜消す
葉の喝采雨は安保の迷宮入り
句集の最終章では、幾何学的な言葉の配列を試みている。
たえず新しい俳句を開拓し、挑戦する姿勢は、沖縄の俳句界を轟かすに違いない。
沖縄タイムス2003年12月14日 俳句時評〈12月〉おおしろ健
(一部抜粋)
今年一番の収穫は一九七六年生まれの豊里友行であろう。
昨年出版の句集『バーコードの森』や俳句活動が評価され、二月に第三十七回「沖縄タイムス芸術選賞」文学部門(俳句)で奨励賞を受賞。
この「俳句時評」でもすでに紹介したが、『俳句研究』八月号の仙田洋子「俳誌展望」でも好意的に評され、浦田義和の「新報文芸」でも大きく取り上げられた。
そして今度は、角川書店の『俳句』一月号増刊である二〇〇四年版『俳句年鑑』に登場。
年代別「二〇〇三年の収穫」〔二十・十代〕のコーナーの最初に紹介されている。
しかもタイトルは「沖縄の新しい風など」とあり、他の新人との期待度が違う。
筆者の佐怒賀正美は次のように紹介する。
「沖縄の俳誌『天荒』の若手有望株」「詩的創造力に満ちた句に惹かれた」「風土感と社会批評を底時敷きにした個性的な主張と詩的イメージの豊かさがある」。
さらに「野ざらし氏の的確な評論への全信頼のもとに、豊里氏の冒険や試行も大量に行われ、その成果も豊かなものとなった」と述べる。
最後に「今後の大きな活躍が楽しみな存在だ」と結ぶ。
この紹介文の掲載には幾つか大事なことがある。
まず伝統俳句が中心の『俳句』に、伝統俳句とは遠い存在の句集が紹介されたこと。
次に二十代で句集を出すことによる将来への期待感。
そして、豊里が所属する俳句同人誌『天荒』の存在である。
同誌が全国で評価されていなければ、いくら才能があっても無名な若者が取り上げられるのは難しいことだろう。
舞台があっての役者である。
信頼のおける代表が持てることは幸いである。
HASHING-EXPO
銀河 豊里友行句集『バーコードの森』鑑賞 =http://plaza.rakuten.co.jp/hashingexpo/4003
沖縄タイムス2003年20日【特集】
2002年度第37回沖縄タイムス芸術選賞 奨励賞(文学)《俳句》
高校時代より作句、昨年十二月に句集「バーコードの森」を出版。作品は感性を主軸にとらえた透明感のある作品で、現代を生き生きと活写し、言葉に喚起力があり、詩的言語空間をつくり出している。大器の風格があり、沖縄俳句界の新星と評価され、今後の飛躍が期待される。
句集『バーコードの森』 自選30句 豊里友行
(俳句同人誌 天荒 15号 特集 豊里友行句集『バーコードの森』より)
にんべん
イ とはぐれバーコードの森に入る
腹話術のダック臍に飼う群衆の砂
夜のパンに鮫のかなしみをぬる
守宮鳴く釈迦の瞼の動くごと
糸蜻蛉とどまれば月の眼球
蟋蟀の鳴くたび星のポンプ漕ぐ
地はたちまち化石の孵化のどしゃぶり
蝶とまり湯槽のような空動く
青バナナむけば炎の鮫になる
糸瓜咲くプルトニウムの根の回路
影のない藻になる煩悩の電車
出家のヨットのごと陽を巻くトンボ
屋号呑み込むデパート蛙になる
棲みついた鮫が泣くのかレントゲン
棺か蛹か蝶の鍵穴のテロ
葉の喝采雨は安保の迷宮入り
捨て石の戦火を泳ぐ亀甲墓
天軸弾く爆心地のあめんぼ
フレルトイワニナルシュウダツノアマオト
轟音の鼠となり空齧るフェンス
ティダ とよ
月も太陽も魚鱗の響み島暦
悪霊散らす流星の石敢當
退屈な歩幅コンビニ星人でいる
蜘蛛の巣の雨は果肉だ春の風邪
UFOです水溜りの夢は朝焼け
曼陀羅の蜘蛛の糸引くマウンド
梅が咲くそこに銀河の圧縮音
能面が迫る孑孑の足音
ジュゴンの打楽器海の挽歌ですか
諸行無常の季語いかがビニールハウス
琉球新報2003年8月30日
新報文芸(浦田義和・佐賀大学教授)
「 宇宙を力強く対照
喚起力ある奇抜な暗喩 豊里友行句集「バーコードの森」」
俳句同人誌『天荒』十五号(天荒俳句会)は、豊里友行句集『バーコードの森』を特集している。
特集は自選三十句と、天荒会員による鑑賞と、野ざらし延男による句集解題からなっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
自選三十句に収められた一九九五年から二〇〇二年までの内、九六年より九句、九七年より3句、九九年より一句、〇一年より七句、〇二年より十句選ばれ、8年間の句作のほぼ全体に視野が及んでいる。
この中から筆者の眼に留まった句は、以下のとおりである。
「糸蜻蛉とどまれば月の眼球」
「蟋蟀の鳴くたび星のポンプ漕ぐ」
「蝶とまり湯槽のような空動く」
「天軸弾く爆心地のあめんぼ」
「梅が咲くそこに銀河の圧縮音」
これらはいずれも昆虫や小さな花と広大な風景を対照させたもので、宇宙を感じると共に、むしろ地上の微小な存在という一点に作者の眼は注がれていて、存在への哀惜すら感じられるものである。
抒情に流れないために宇宙を力強く対照させているので、哲学的といってもいい雰囲気を感じさせる。
自選句以外の「一点の蟻がたぐりよせる水平線」もそういう意味で見事な句と思う。
それらの句について、会員の鑑賞では、「蟋蟀の」の句について「コオロギの鳴響をはるか天空できらめいている星のポンプから流されてくる音と捉(とら)えた句」(玉城秀子)と、星の明滅とコオロギの鳴き声を結びつけ、「一点の蟻」については「蟻は水平線を引っ張って来ます。水平線よりも大きくなるのです」(当山恵子)、「蝶とまり」では「寝転ぶと空は湯槽。(略)やがて蝶は止まり、動くのは空」(同前)と視線に注目している。
慧眼(けいがん)である。
他の特徴として、一見奇抜な暗喩(あんゆ)の使用がある。
「夜のパンに鮫のかなしみをぬる」
「青バナナむけば炎の鮫となる」
「棲みついた鮫が泣くのかレントゲン」
これらはいずれも己への言及だろう。
「青バナナ」の句に関しては、「俳句に情熱を燃やす青年『青バナナ』が痛い。青い皮を剥いたら現代俳句の『炎の鮫(さめ)』になったという」(小橋川忠正)とも、「青バナナは青年友行の肉体を象徴し、鮫は精神を暗示している」(野ざらし延男)とも鑑賞されている。
野ざらしは「夜のパン」の句を「孤独と憂愁と自慰」と捉えている。
更に作者が、「鮫」を立ち上がらせていけば、金子光晴の「おっとせい」ほどの喚起力を身に付ける可能性があろう。
・・・・・・・・・・・・・・
これらのほかに、状況への発言がある。
「糸瓜咲くプルトニウムの根の回路」
「轟音の鼠となり空齧るフェンス」
「捨石の戦火を泳ぐ亀甲墓」
「ジュゴンの打楽器海の挽歌ですか」
これらは、同人誌「天荒」のマニュフェスト「今まで誰も成し得なかったことを成し遂げる破天荒を目指して、心血を注ぐ」にふさわしい。
「轟音の」の句については「鼠(ねずみ)の大群の一匹となり基地を齧り消滅させたいものだ」(牧野信子)とあり、「捨石の」の句について「沖縄の過去の歴史と風俗と現実の矛盾を見据えつつ、そこに鋭く切り込もうとする思想の刃を内蔵した太々しさがある」(平敷武蕉)と鑑賞されている。
今後、さらに言葉がクリアに磨かれていく事を期待したい。
『俳句研究』八月号平成十五年八月(富士見書房)
「俳誌展望」 仙田洋子より
◇南国のエネルギー
(前文省略)
紙面も残り少なくなったが、最後に「天荒」十五号を読む。
沖縄県で発行、野ざらし延男氏が代表を務める。
本土とは明らかに違う、南国の置かれた厳しい現実を感じずにはいられない。
「天荒」とは「破天荒」の故事に由来し、未開拓の荒野や天地未開の混沌とした状態を指す。
「天荒の二文字”破”の一文字を冠するため、心血を注ぐ」と頼もしい決意が書かれている。
(省略)
特集は、第三十七回「沖縄タイムス芸術選賞奨励賞」を受賞した豊里友行氏の「バーコードの森」。
俳壇の若手というのは随分底上げされているが、豊里氏二十六歳、本物の若手である。
ただ単に若いというだけでなく、端々しい感覚に恵まれた、鮮烈な詩的創造力が眩しい。
誌面での嬉しい出会いだ。
樹のラインに湧き立つ雲は十九歳 豊里友行
蟋蟀(こおろぎ)の鳴くだび星のポンプ漕ぐ
青バナナむけば炎の鮫になる
ティダ とよ
月も太陽も魚鱗の響み島暦
寝転んだ季語も馬糞も銀河の野
梅咲いてそこに銀河の圧縮音
季語と馬糞の並列に驚くのは私だけだろうか。今後の今後の更なる活躍を期待したい。
『俳 句』 1月号増刊号(角川書店)
二〇〇三年度版『 俳 句 年 鑑 』
年代別「二〇〇三年の収穫」〔二〇代・一〇代〕
「沖縄の新しい風など」
豊里友行(昭和五十一年九月二十三日生)
沖縄の俳誌「天荒」(主宰・野ざらし延男)の若手の有望株。
第一句集『バーコードの森』を刊行し、第三十七回「沖縄タイムス芸術選賞奨励賞」を受賞した。
その句集からは、
樹のラインに湧き立つ雲は十九歳 『バーコードの森』
青バナナむけば炎の鮫になる 〃
捨て石の戦火を泳ぐ亀甲墓 〃
あまわり
蛙鳴くついに阿摩和利の岩を吐く 〃
ティダ とよ
月も太陽も魚鱗の響み島暦 〃
など詩的創造力に満ちた句に惹かれた。
これらの句には、風土感と社会批評を底敷きにした個性的な主張と詩的イメージの豊かさがある。
主宰・野ざらし氏の的確な評論への全信頼のもとに、豊里氏の冒険や試行も大量に行われ、その成果も豊かなものとなった。
かみんぐゎ
洞窟(ガマ)が吐くあけもどろ
うみんぐゎ 『バーコードの森』
の新三行詩的俳句にも視覚的にも豊かな新世代の俳句の誕生を見た。
今年の新作からは、
撮始め双葉は月と太陽(ティダ)のワルツ 『俳壇』5月号
岬は蛹魂(タマ)も弾も眠れねむれ 〃
などを引く。
一句目にあるように豊里氏は写真家。
二句目の、物の奥に眠る「こと」に触れた作品も哀切な感情が祈りとなっていよう。
今後の大きな活躍が楽しみな存在だ。
Posted by とよチャンネル at 18:16│Comments(3)
│「月と太陽(ティダ)」俳句会
この記事へのコメント
ご訪問ありがとうございます。
こちらこそどうぞよろしくお願いします。
こちらこそどうぞよろしくお願いします。
Posted by キムタ at 2008年02月13日 15:18
ご訪問有難うございました
沖縄本島に初めて訪れたとき、フェンスの多さに驚きましたね
こちらでも、横田や座間など何度か見に行きましたが、当たり前に存在してる感じでビックリでしたね
沖縄本島に初めて訪れたとき、フェンスの多さに驚きましたね
こちらでも、横田や座間など何度か見に行きましたが、当たり前に存在してる感じでビックリでしたね
Posted by ちょい悪 at 2008年02月14日 23:52
私も2009年5月に横田や座間に視察に行きました。
沖縄だけでない基地の現状に連帯感を覚えました。
沖縄だけでない基地の現状に連帯感を覚えました。
Posted by とよチャンネル at 2009年07月21日 17:42
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